ぎふ長良川鵜飼
岐阜が誇る伝統文化を体感
〝長良川といえば鵜飼〟といわれるほど、全国的にも知られる「ぎふ長良川鵜飼」。そもそも鵜飼とは、鵜の習性を巧みに生かして鮎を捕える漁のこと。長良川では1300年以上にわたって、この古典漁法が脈々と受け継がれてきました。
長良川の鵜飼は時の権力者らに手厚く保護され、生活に根付く文化として守られてきました。鵜と一体となって漁を行う漁師らを「鵜匠」と名付けたのは織田信長公だったともいわれています。また、江戸時代には「鮎鮨」を江戸幕府に献上しており、その鮎鮨を岐阜から江戸まで運んでいた道は〝御鮨街道〟と呼ばれるようになりました。
今では、国内外から多くの観光客が岐阜へ鵜飼見物に訪れます。左岸にある鵜飼観覧船のりばから船に乗り、気持ちのいい川風を感じながら少し上流の岸へ移動。停泊して、ゆったりと食事を楽しみます。ちょうど夕日が沈むころ、上流から6つの篝火が現れると、いよいよ幻想的な鵜飼の始まりです。間近で観る鵜飼は、迫力満点。鵜匠の見事な手縄さばきは観る人を唸らせ、川へ潜って一生懸命に鮎を捕る鵜の姿に、歓声と拍手が沸き起こります。クライマックスの総がらみが終わると、誰もが「鵜飼を観覧して良かった」と満面の笑みを浮かべます。
伝統文化が息づく幽玄な鵜飼の世界をあなたもぜひ、体感してみませんか。
鵜匠インタビュー
長良川鵜飼の鵜匠の正式名称は「宮内庁式部職鵜匠」。世襲制によって古き伝統を守り、次世代へと繋げています。
漁としての鵜飼にこだわる
杉山雅彦 鵜匠代表
幼い頃から父と一緒に漁へ出ていたという杉山鵜匠。鵜匠としての資質を備えるには、鵜匠を生業としたこの家に生まれることが一番重要な要素だと考えます。「起床から始まる一日の行動すべてが鵜飼に繋がった生活が続く中で、一切の所作を見て、聞いて、感じて吸収することが大切。加えて、漁が好きだという強い思いが家業を継承することなのでしょうね」。
急逝した父の跡を継いだのは弱冠18歳。周囲の助けを得て、大学に通いながら鵜匠の仕事を習得していきました。「最初は失敗の繰り返し。漁をしながら複数の作業を同時にこなすことが難しくて」。
鵜匠となって30年以上。自身が受け継いだ、伝統に裏打ちされたこの生業を「重責を伴うもの。時代や環境の変化にも対応していかないと」と話します。一方で、長良川の鵜飼の魅力について「鵜と鵜匠、船頭の呼吸が一体となって生まれる調和」と表現。「静けさの中で野生の鵜が荒々しく繰り広げる漁で、野性味、そして人間味あふれる鵜飼をお見せしたいですね」。
鵜匠のヒミツ
鵜匠(うしょう)
昔ながらの伝統漁を守り続ける鵜匠。古式ゆかしい装束をまとって鵜舟に乗り、10〜12羽の鵜を自在に操ります。
1.漁服(りょうふく)
紺または藍の木綿製です
2.腰蓑(こしみの)
ワラ製で水しぶきを払います
3.足半(あしなか)
半分の長さの滑らないわらじ
4.風折烏帽子(かざおりえぼし)
篝火から髪を守ります
5.胸当(むねあて)
火の粉や松ヤニをよけます
鵜匠は国家公務員って本当?
長良川の鵜飼は、皇室に鮎を献上するために御料場で漁を行う「御料鵜飼」が日本で唯一、認められています。そのため、鵜匠は「宮内庁式部職鵜匠」に任命された、国家公務員でもあるんですよ。
ぎふ長良川鵜飼の鵜匠たち
「ぎふ長良川鵜飼」の鵜匠は6人。国の重要無形民俗文化財となった漁法を代々世襲で受け継いでいます。宮内庁式部職鵜匠という職名を与えられ、毎年8回行われる「御料鵜飼」では、皇族が食される鮎を捕って納めるという特別な職務を全うしています。
長良川の鵜飼用具は国重要有形民俗文化財、漁法は国重要無形民俗文化財に指定されています。また、長良川の鵜飼文化を保存・継承していくために、現在、ユネスコ無形文化遺産登録に向けた取り組みが進められています。
鵜のヒミツ
鵜(う)
野生の海鵜を捕獲して飼い慣らします。鵜匠は約20羽の鵜と家族同様に暮らし、2年ほどかけて鵜を一人前に育てます。
鵜は鮎を食べている!?
実は、鵜は捕らえた鮎をすべて吐き出しているわけではないんです。鵜匠は長年の経験をもとに、鵜に「首結い」をします。このとき、大きな魚だけが鵜の首で止まり、小さな魚は飲み込めるように、ちゃんと加減をしながら結んでいるんです。
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投稿日:2017.02.01 最終更新日:2023.12.07