Special Feature 03
岐阜市本郷町のけやき並木沿いに、「すいもん」というレトロな佇まいの喫茶店がある。店主の伊丹容子さんがこの店を開いたのは、2020年の5月。柳ケ瀬の和食創作料理店に約18年勤めた後、念願の喫茶店を開業した。
「子どもの頃、親や祖母によく柳ケ瀬の喫茶店に連れていってもらいました。そこで飲んだクリームソーダの味や、お客さん同士の会話の楽しさが忘れられなくて、いつか自分でそういうお店をつくりたいと思っていました」
伊丹さんが店を開いた場所には、数年前まで「茶房すいもん」という喫茶店があった。その建物を初めて見た時、昭和の雰囲気に惹かれるものを感じたという。そして、物件を選ぶ際に伊丹さんが何よりも重視したのは、店舗の2階を住居として使えることだった。
伊丹さんには、一緒に暮らす娘がいる。何年も前に夫と離婚して以来、フルタイムで働きながら一人で子育てをしてきた。しかし外で働いていた頃は帰宅時間が遅く、なかなか一緒に食事をとることはできなかった。
「娘には今までずっと一人で寂しい思いをさせてきたので、毎日『おかえり』と迎えてあげたいと思いました。また、作り置きの食事ではなく、あったかいご飯を食べられるようにしたいと思っていました」
娘が社会人になった今、伊丹さんのささやかな喜びは、勤め先からの帰りを店で迎えることだという。また今は、一緒に夕食を食べながらその日の出来事などを聞くこともできる。この店を始めてから、親子の関わり方は大きく変わった。
店で出す食事を“母ちゃん飯”と呼ぶ伊丹さん。その誕生にもやはり、母親としての経験が関わっている。日々の仕事が忙しく、思うように食事をつくれなかった頃、娘に少しでも手づくりに近いものを食べさせたいと、八百屋さんがつくる煮物などをよく買っていたそうだ。だから、家族に食事をつくる時間のない人や、共働きで多忙な人の気持ちはよく分かる。
「洒落た料理やごちそうを食べたい人もいれば、普通の家庭料理を食べたい人もいると思います。私がつくりたいのは、切り干し大根や筑前煮のような、『お母さんの味』です。召し上がる方の身体のことも考えて、できるだけ化学調味料を使わず、作り置きや冷凍をせずに、できたてのものをお出しするようにしています」
いま伊丹さんの“母ちゃん飯”を、仕事帰りの人や近所のお年寄りなど、さまざまな年代のお客さんが食べに来る。毎日来る常連客も多く、90歳を超えた女性のお客さんは、朝、昼、おやつ時と、一日に三度来店するそうだ。
「その方は今まで、コンビニでお弁当を買っていたそうですが、この店ができてからほぼ毎日来てくださいます。だから私は、店を休む時にはその方のことがまず心配になるんです。『今日、食べるご飯があるのかな』って」
おいしい料理とスイーツを用意し、いつも笑顔でお客さんを迎える伊丹さん。迷う気持ちを乗り越えながら歩んできた日々のことを、改めてこんな言葉で振り返る。
「こういう年齢になって借金を抱えて店をつくるのは、自分勝手なのかなと思ったこともあったんです。でも、今まで娘に寂しい思いをさせてきたのに、その意味がなくなってしまう。だから何とか店を形にしなくてはいけないと思いました。そして、夢を追いかけている姿を娘に見せたかった。目標を持って頑張れば叶うということを伝えたかったんです」
伊丹さんの娘は、店について普段は何も言わないが、時折「こういうメニューを増やしたら?」などと、気づいたことを話してくれるという。そうした応援が、伊丹さんを支える力になっている。
■ すいもん
2020年5月にオープンした喫茶店。メンチカツ定食などの「母ちゃん飯」や、チーズケーキ、プリンなどのスイーツが人気。男女問わず幅広い年齢層のお客さんで賑わっている。
【住所】岐阜市本郷町2-24-1
【お問い合わせ】 058-208-2766
投稿日:2021.12.20 最終更新日:2023.12.07