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【後編】鼎談:岐阜とファッション。「繊維のまち」で挑む。

Gifu and Fashion.
Taking on the challenge in this “textile town.”


365日、洋服のことばかり考えてきた。

―中村さんのブランド「FRECKLE」のこだわりを教えてください。

■中村:白Tシャツとか白シャツとかデニムが、うちのブランドの定番アイテムです。その人自身に溶け込むようなデザインで、シンプルで無駄がなく、長く着ていただけるもの。着ることによって落ち着けるような服をめざして作っています。

■重田:中村さんが今着ているシャツはいくらで出しているの?

■中村:これは1万9000円です。

■日山:手が届きやすい値段ですね。

■重田:手が届きやすいんだけど、その値段で出せるということは、すごいことでもあると思う。「FRECKLE」というブランドに、お客さんがちゃんとついているということだから。

■中村:ありたがいことだと思います。

―柳ケ瀬にお店を出された感想としてはいかがですか?

■中村:お客様があったかいですね。まわりの環境もいいし、自分たちのペースでやらせてもらっています。また、私の祖母が昔、柳ケ瀬で料理屋をやっていたこともあって、まちに対して思い入れがありました。高校時代などに洋服の魅力を教えてもらったのも柳ケ瀬のまちだったので、なんとかお店を出せないかと思っていたらご縁がありました。
お店が一宮にある頃、岐阜高島屋のバイヤーさんに声をかけていただき、それから定期的にポップアップをやらせていただいたんです。私たちはまだ無名のブランドなんですけど、お客様が「岐阜産のもの着てみたい」とか「若者が頑張っているならそれを着てみたい」と言ってくださって、すごくウェルカムでした。8年間、年に2回出させていただいたのですが毎回来てくださるお客様も多く、それもあって柳ケ瀬に出店できたのもあると思います。

■重田:お二人はすごく熱くやってみえますね。僕も長い間洋服というものに熱い気持ちで向き合ってきて、本当に24時間365日、洋服のことばっかり考えてやってきました。それに対していま僕が作っているものは、熱い感じというよりも少し抜いた感じというか。365日少し力を抜いた感じで着られるようなものを作っています。それを評価してくださるお客様がいるので、ポップアップ中心でやれている感じです。

■日山:すごいですね。「この場所でポップアップをやるよ」と言ってお客さんが集まるわけですから。

■重田:ありがたいことです。「Hmount」というブランドは、デザイン性とアウトドアでも着られるタフさの両面を意識して、「街と自然をつなぐ」というイメージでものづくりをしています。今は「売るためのデザイン」ではなくて、自分が着たいと思えるものだけでどれだけ勝負できるかにこだわっているんです。「こうやったら売れるかな?」ということではなく、「次は自分が何を着たいと思っているの?」と自分に問いかけて作っているので、おかげさまで楽しいです。

あらゆる分野の職人がそろっている。

―少し前の時代のことをお聞きします。重田さんが社会人になった頃は、岐阜のアパレルが特に活気のあった時代だったのでしょうか。

■重田:その頃は、もうピークは去っていましたね。もっと前の、僕の親父の時代は岐阜駅前も繊維街として盛り上がっていて、岐阜独自のコレクションもやっていたんです。繊維の会社などがイニシアチブを取って、そういう大規模なことができていた時代でした。

■日山:へー!

■重田:僕は中学生くらいからそのコレクションを手伝っていたのですが、その頃が最終のピークくらいじゃないですかね。そこからは少しずつ状況が厳しくなっていったんですが、一方で工場とか職人さんの技術は高いものがあって、それが維持されていったと思います。

―中村さんの高校時代は、洋服を買うお店が今よりもたくさんあったんですよね。

■中村:そうですね。その頃は名古屋に行っても百貨店の印象が強くてちょっと面白みがないと感じていたのですが、岐阜には路面店も古着屋さんもいっぱいあったし、セレクトショップもたくさんありました。先ほども言ったセンサには、当時の雑誌で言ったら「FRUiTS」とか「Zipper」とか、そっち系の攻めた感じのブランドさんが入っていましたね。岐阜市文化センターでファッションショーが行われたり、東京に行かなくても「岐阜で大満足」という感じでした。

■日山:何でその盛り上がりが止まったんですか? 今はファッションショーとかは行われていないですよね。

■中村:ないですね。どうしてなくなっていったんですかね?

■重田:名古屋とか他のエリアがすごく頑張って、カルチャーを含めていろんなものを吸収していったのが大きいかもしれないですね。

■中村:重田さんが言われたように、岐阜の工場や職人さんは高い技術を持っているのですが、外から見たときにそれが分かりにくい感じもします。

■重田:確かに、岐阜の人って、自分からあまり発信しないところがあるよね。

■中村:いい風に言えば、謙虚さがあるというか。みんなすごく岐阜愛があるのに、口では「岐阜なんて」とか言いがちですよね。
縫製工場に行くと、すごいブランドのネームタグとかが無造作に置かれていることがあります。「このブランドすごいですね」と言うと、「え?知らん。この縫い方がめんどくさいわ」って(笑)。

■重田:アパレルって守秘義務があるから自ら公表はできないけど、「実は有名な海外のブランドの製品がこの工場で作られているんだ」というのはありますね。でも、職人さんのその感じはいいよね。

■日山:本当に、その感覚は僕もめちゃめちゃ素敵だと思っています。職人さんからしたら、「有名なブランドだから力を入れる」ということではなくて全部大事な仕事で、仕事をもらった以上はどれも自分が納得できる仕事をする、という感覚だと思うので。

■重田:岐阜って本当に全国レベルで見ても、職人さんとか必要なものがオールインワンでそろっていてすごいエリアなんですよ。だけど、それを表立っては言わない暗黙の了解みたいなものが出来上がっている。同じような歴史をたどってきたまちに、岡山の倉敷があるんですが、倉敷は10年前くらいからデニムのまちとして世界に向けて発信してきた。さっき日山さんが言われたみたいに、「岡山から世界へ」みたいな感じで。
本当は、僕らが若い頃からもっと、繊維のまちとしての岐阜の魅力を言い続ければ良かったのかもしれないけど、なかなかそういうことが少なかった。だから、今の日山さんみたいな存在が本当にありがたいんです。

■中村:本当にそうですね。

■重田:そういう音頭を取れる人に頑張ってほしいよね。

■日山:若い人たちにもっと、「岐阜で服作りができる」ということを知ってもらって、やってほしいと強く思いますね。僕は、みんなやれると思っているんですよ。あとは「好きこそものの上手なれ」で、それを続けられるかどうかですね。
僕自身も服を通してさらに挑戦していきたいと思っています。体感としても、岐阜はいろんなカルチャーに興味を持っている人が多く、熱量があるまちだと思います。それをもっといい熱量に持っていきたいと思っているので、皆さんが何かをやる時はぜひ混ぜてください!

「この服と出会った!」という感動を。

―岐阜の若者に、ファッションをどう楽しんでほしいですか?

■日山:僕は、シンプルに自分が着たい服を着ればいいと思います。服って、日常的に誰もが着るものじゃないですか。本来は、ライトでキャッチーなものだと思います。「モテたい」とか「彼氏を作りたい」とか、「ちょっと学校で目立ちたい」とか。「こういう服を着たい」という気持ちを大事にして好きな服を選べばいいし、それが服を楽しむことだと思うし、きっとこれから先の何かに繋がっていくと思います。

■中村:今の時代、女性の場合は特にSNSで洋服を見て「みんなと一緒がいい」とか「こういうコーディネートがいい」と完成させられるところがあって、それをラクだと感じる部分もあるかもしれないと思います。でも、スマホだけじゃなくて、リアルなものを感じてほしいという気持ちもありますね。

■日山:そうですね。今はSNSで簡単に情報が得られたり、インターネットで手軽に物が買えたりする時代で、もちろんその魅力もあるんですが、やっぱり自分自身がセレクトショップで「この服と出会った!」と感動した経験がありますし、販売員をしていた時も服を羽織るだけでお客さんが楽しんでいる姿を目の前で見てきました。だからできるだけ、服屋さんに足を運んでほしいと思います。

■重田:やっぱり「あの人の話を聞きながら洋服を買った」という体験は、人生の中でも記憶に残ることだと思います。ただ、そのためには販売する側、届ける側も勉強する必要がある。僕は販売の仕事が長かったのでそう思うのですが、洋服屋さんの頑張りに期待したい気持ちもありますね。
それから、今の岐阜の人のファッションについて感じることを言うと、シンプルなスタイルの人が多く見えるけど、実際は生地のことでも何でも詳しい人が多いんですよ。岐阜のファッションの専門学校などで生徒さんに聞くと、ミシンを踏める子が多いし、生地に詳しい子も多いですね。どうしてかと思ったら、「お母さんにこう聞いた」とか「おばあちゃんに教わった」と言っていて、「綿はこうで、ウールはこうで・・・」と知っている子が多い。
たとえば、中村さんのブランドは質の良さにこだわっていますが、そういうブランドがしっかりと支持されるというのは、岐阜ならではの背景もあると思います。

■中村:確かに生地に詳しいお客様や、着心地を大事にされる方は多いですね。また、おしゃれな方が多いと感じます。私たちが接客する中で、お客様から学ぶことも多いですよ。あとは、お母さんと一緒に来られるお客様も多いですね。

■重田:それ! そのスタイルが多いんですよ。娘さんとお母さん、さらにはおばあちゃんも含めて、親子3世代とか。

■中村:私はむしろ、それが普通だと思っていました。親子3世代で同じ店の洋服を買うことが。「今まではお母さんが買ってくれていたけど、就職して自分で買えるようになりました」というお客様もいました。

■重田:それは全国的に見ても珍しいことだと思いますよ。娘さんが「お母さんはちゃんと洋服のことを分かっているからアドバイスを聞く」と言ったり。なんだかんだ言って、「繊維のまち岐阜」のバックグラウンドがあるのかな、と思いますね。

―先ほど、倉敷のデニムの話が出ましたが、岐阜のアパレルを象徴するジャンルやアイテムはありますか?

■重田:「これ」という特定のものはないかもしれないですね。

■中村:岐阜はオールマイティですよね。

■日山:技術的には、一宮は生地を織る場所が多いイメージがありますが、岐阜は縫える場所が多い気がします。逆に、今から岐阜を象徴するものを作っちゃってもいいと思いますけどね。

■中村:すごい! 確かにそうですね。岐阜を象徴するものが作れたら、魅力が分かりやすく伝わりますね。

■重田:せっかくこうして知り合えたから、この機会に本当に何かやりたいよね。本当に僕は40年以上いとへん(繊維産業)に関わってきて、本当に今もそう思うけど最高に面白いんですよね。それを通して出会う人たちも最高だし、さっきのお二人の話じゃないけど、新しいことにチャレンジすることがすごくいいなと思います。もっと多くの人に、岐阜でいとへんに携わってほしいという思いがあります。

■中村:洋服が好きな人でも、作る方に入っていく人はまだ少ないと思うので、洋服を作ることに興味を持ってほしいですね。

■重田:まずは、工場見学みたいなツアーを岐阜でやるのもいいかもしれない。

■中村:工場見学はいいですね。うちのスタッフから「工場見学をしたい」と言われて実際に行ったことがあるのですが、その時も職人さんは忙しいながらもちょっとうれしそうにいろいろ教えてくれました。工場を見ることで分かることがたくさんあると思います。

■重田:そういう現場をもっと多くの人に見せたらいいかもしれないね。それこそ、日山さんが洋服を作っているところをみんなで見に行くとか。

■日山:ライブソーイングをやりましょうか?

■中村:ぜひ見てみたいです!


Profile

重田 英登さん(↑写真中央)
岐阜市出身。20歳頃からコムデギャルソン岐阜で働き始める。30歳頃からは名古屋のエリアも任され、国内トップセールスとなる。また、パリをはじめ海外での仕事を何度も経験するなど、多様な経験を積む。2016~2017年ごろより、プロバスケットボールチーム「岐阜スゥープス」の立ち上げに関わる。2018年にはセレクトショップ「一宮REFEREE」の立ち上げに関わると同時に、自身のブランド「Hmount」を立ち上げる。2021年にコムデギャルソン岐阜・名古屋を卒業後、洋服のデザインやものづくりに力を注ぎ、さまざまなイベントやセレクトショップで提供する。


中村 若奈さん(↑写真右)
岐阜市出身。学生時代にデパートで販売スタッフのアルバイトを経験。「売る」から「つくる」への興味が芽生え、2005年に岐阜のカットソーメーカーに就職。市内で製造工場まわりを経験する。2006年にアクセサリーメーカーに転職し、アパレル個人店や雑貨屋、大手企業への営業職を経験。その後、「自分のブランドを地元で立ち上げたい」という思いからパタンナーの小野信行氏とともに2008年にオリジナルウエアブランド「FRECKLE」を立ち上げ、一宮市に店舗をオープンする。2022年に店舗を岐阜市に移転。2023年に株式会社フリークルとして法人化した。


日山 翔太さん(↑写真左)
滋賀県出身。高校卒業後、京都のセレクトショップで販売員・バイヤー・店長を経験。2015年にイタリアの「Pitti Uomo」にバイヤーとして参加し、多くのメディアに取り上げられる。2017年に拠点を海外に移し、ヴィンテージ古着のバイヤーやファッションメディアのスタイリストを経験。帰国後、サンプル製作を手がける工場や岐阜の縫製工場で働き、縫製士として経験を積む。その後、2022年にデザイナーとして独立し、自身のブランド「SHOTAHIYAMA」をスタート。2023年秋冬シーズンのデビューコレクションをニューヨークで発表する。


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