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鷲見玲奈さんインタビュー

インタビューメイン

インタビュータイトル

『エエトコタント岐阜市2022』の巻頭特集は、岐阜市出身でアナウンサー・タレントとして活躍する、鷲見玲奈さんが登場! 高校時代まで過ごした岐阜への思いや、現在の仕事につながる歩みなど、いろいろな話を聞かせてもらいました。東京・上野の「岐阜ホール」で行われたインタビューの様子を、お伝えします。

インタビュー サブタイトル01

鷲見さんは高校時代まで岐阜で過ごされていたそうですが、岐阜のまちにどんな思い出がありますか?

初めて映画を見に行ったのが柳ケ瀬商店街の映画館でした。確か、アニメの映画を見たと思います。また、お正月は毎年早起きして、高島屋で福袋を買ってもらっていました。家が長良川に近かったので、川沿いでよく犬の散歩をした思い出もあります。

岐阜に帰省した時はどのように過ごしますか?

自分でクルマを運転して外出することもあります。クルマで走っていると、私が住んでいた頃とはまち全体が変わったな、と感じます。メディアコスモスができたり、市役所が新しくなったり。先日も母から「ここが新しい市役所だよ」と教えてもらい、「すごい建物だね」と話していたところです。

小さい頃はどんなお子さんだったのですか?

小中高と、人前に出るのが好きで、応援団に入ったりしていました。活発な子どもでしたね。そういうところが、今の仕事にもつながっていると思います。小さい頃から好奇心旺盛で、いろんな習い事をしていました。お絵描き教室や、新体操、ピアノ、ダンス、サッカー。それから、祖母が詩吟の先生をしていたので、3歳頃から詩吟を習っていました。

たくさんの習い事を経験してきたんですね。

興味があることを、次々に見つけてしまうんです。でも、大学生の時に反省したこともあります。いろんなことを習ってきたけど、何かが特別身についているわけではない。「私には何もないんじゃないか」と思いました。でも、いま何もないのであれば、一度やめたことをまた始めればいい。そう思って、詩吟を再開しました。就職活動の時、履歴書の特技の欄に「詩吟」と書くことができ、面接官の方にもアピールできるようになりました。また、自分が何かを続けられるという自信にもなりました。「いつか役に立つから」と言って詩吟を続けさせてくれた祖母に感謝しています。

 

インタビュー サブタイトル02

お仕事についての話も聞かせてください。アナウンサーやタレントという仕事の醍醐味はどのようなところにあると思いますか?

この仕事は本当に、同じことをする日というのがありません。毎日いろんなことに挑戦できることは、この仕事の醍醐味だと思います。また、普通に生活していたら出会えないような人に会えたり、珍しい体験ができたりするという充実感もあります。 2020年に会社員からフリーになって変わったのは、人が発したことを受け止めて発信するだけではなく、自分自身のことを発信する機会が増えたことです。自分の個性を表現することを求められることが多く、そこはまだ難しさを感じています。

今の仕事をする上で、特に大切にしているのはどんなことですか?

どんなことに取り組む時も、ポジティブな意識を持つようにしています。「この経験を通じて自分がこう成長できる」と想像するのもいいし、「この仕事はこういう部分が楽しそうだ」と考えてもいい。必ず、目の前の仕事の好きになれる部分を見つけるようにしています。

幼少時代から興味を持ったことに素直に取り組み、今もその姿勢を持ち続けているのだと、鷲見さんの話を聞いて感じました。

そうですね。子どもの頃から育んできた「何事にも興味を持って飛び込んでいく姿勢」というのは、今の仕事に役立っていると感じます。私は今、アナウンサーの仕事も、演技の仕事も、バラエティも、すべての仕事を楽しくやらせていただいていて、とても幸せだと感じています。これからも、幅広くいろんなことに挑戦していきたいと思っています。

「何かをやりたい」という目的意識は、子どもの頃からありましたか?

子どもの頃は、「これをやりたい」という明確なものはありませんでした。でも、「やりたいことがないからまず大学に行こう」と決めたのは、良かったと思います。そのために、勉強は頑張って続けてきました。自分の可能性や選択肢を広げておいて良かったと思いますし、そういう風に導いてくれた両親に感謝しています。 最初から夢や目標を持っている人は、決して多くないと思うんです。そういう中でも、やりたいと思ったことに何でも挑戦してみれば、必ず経験として生きてくると思います。自分自身を振り返ってみても、一見無駄に思えるような経験が何かの役に立っていると感じます。

 

大人になってから、岐阜市に対する見方や感じ方は変わりましたか?

あたたかくて思いやりのある人が多いまちだと、改めて感じます。会社員の頃、同僚のアナウンサーの方が岐阜で仕事をした際に、「取材させていただいた方たちが本当に優しかったよ」とか「こんなおもてなしを受けた」と言ってくれることが多く、すごく誇りに思いました。 岐阜の人のやさしさについて忘れられないのが、小学生の時の出来事です。下校中にいつもの道を歩いていたら、知らないおばあちゃんが「ミョウガがいっぱい採れたから持っていきな」と言って、袋いっぱいに持たせてくれたんです。そういう田舎ならではの人の関わりはすごくいいな、と思います。 一方で、岐阜は奥ゆかしくて謙虚な人が多いですよね。私自身も、「岐阜の良いところを教えて」と言われた時、最初は「岐阜は何もないんだよ」と謙遜していました。岐阜の人の多くは、私と同じことを言うと思うんです。でも、良いものはいっぱいあるんですよ、間違いなく。それをもっとアピールしても良いと思います。

これからの岐阜市に期待することはありますか?

岐阜は本当に、「故郷」の素敵なイメージを全部ギュッと集めたようなまちだと思います。人のあたたかさと豊かな自然が岐阜の良さだと思うので、そういうところは守り続けていただきたいと思います。

今後、岐阜市の魅力をどう発信していったら良いと思いますか?

インタビュー画像この『エエトコタント』のように、まずは岐阜市にいる人に自分のまちの良さを知ってもらうことがすごく大事だと思います。そうして情報を持った人たちが外の地域に出ることによって、まちの魅力が広く伝わっていくと思います。

 

 

最後に、鷲見さんにとっての「私の岐阜市」を教えてください。

「私の岐阜市」は、岐阜駅で電車を降りて、実家に帰るまでの風景です。駅があって柳ケ瀬商店街があり、金華山や岐阜城が見えて、長良川を渡る。その間に感じるまちの雰囲気が、頭の中に浮かぶ岐阜市のイメージです。

 

■鷲見玲奈さん
鷲見玲奈プロフィール
岐阜市出身。岐阜北高等学校卒業後は、首都大学東京(現東京都立大学)都市教養学部へ進学。その後、テレビ東京にアナウンサーとして入社し、テレ東音楽祭の司会や世界卓球のMC等を務める。テレビ東京を退社後、フリーアナウンサー・タレントに転身し、現在は、様々なTV番組のほかドラマなどでも活躍中。特技は3歳の頃に始めた詩吟。


■ 岐阜ホール
岐阜市に本社を持つデザイン会社「リトルクリエイティブセンター」が、2019年7月に東京・上野にオープンした、ユニークな岐阜のアンテナショップ&カフェ&イベントスペース。岐阜の素敵な“ひと・もの・こと”を独自の視点で編集し、東京から全国へと発信しています。

オフショット

鷲見玲奈オフショット

 

 

 

 

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