Visiting GIFU CITY 07
2019年10月から翌年1月にかけて岐阜市が行なった金華山の発掘調査で、織田信長の時代の天守台と見られる石垣が発掘された。「大きな石の間に小さな間詰石を丁寧に詰めていることなどが、他の信長期の石垣と共通しています」と解説してくれたのが、石垣に詳しい角原広康さん。これまで、日本の近世城郭の先がけは安土城だと言われてきたが、今回発掘された石垣が信長時代の天守台だとしたら、その名にふさわしいのは岐阜城ということになる。「この地域で城に石垣が使われるようになったのは、土岐氏や斎藤氏の時代です。その技術が信長の時代に発展し、近世城郭の元となる天守が岐阜で築かれた。そう考えるのが自然だと思います」。
角原さんにとって石垣の魅力とは、当時のものが残ったオリジナルであること。石には年号も人名も書かれていないが、実物を目の前で見れば自ずと想像が膨らむと、その魅力を語る。「まだ明らかになっていないことをどう解釈するか。その見方は人によって異なります。正解がないからこそ、自分で考える面白さがあるのだと思います。ちなみに、いろいろな石垣の積み方がある中で私が特に好きなのは、一番古いタイプの『野面積み』という積み方。野性味溢れる積み方に魅了されます」。続きは、角原さんがガイドを務める金華山のツアーにて。きっと、石垣との対話が人生の楽しみに加わるだろう。
■角原広康さん 大学時代は考古学を専攻。現在は会社勤めのかたわら「未公開遺構・石垣案内人」として活動し、遺構の魅力を広く発信している。
信長期の天守台と見られる石垣。日本最古の天守がここに築かれた可能性があるとして、大きな注目を集めている。
■岐阜城
金華山の山頂に位置し、古くは「稲葉山城」と呼ばれ、斎藤道三が居城とした。その後、明智光秀の主君・織田信長が攻略し、「井口」と呼ばれていた地名を「岐阜」に、「稲葉山城」の名を「岐阜城」に改め、天下統一の拠点とした。山麓居館や自然地形を含めた金華山一帯が「岐阜城跡」として、国史跡に指定されている。
【住所】岐阜市金華山天守閣18
【TEL】058-263-4853
投稿日:2021.01.21 最終更新日:2021.01.21