時代を次へつなぐ人 01
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父の知識や技術を吸収することが、
今やるべきこと。
鵜飼の伝統を継ぐ者として。
鵜飼や数々の伝統工芸、お酒やお菓子などの名産品。岐阜を象徴する文化の多くは、歴史を通じて大切に守り伝えられてきたものだ。もちろんその担い手は、今の時代にもいる。伝統を受け継ぐために挑戦を続ける人たちに注目し、その日常を取材した。
まず訪れたのは、ぎふ長良川の鵜飼の6人の鵜匠の一人、「マルヤマ」の屋号で知られる山下哲司鵜匠のお宅だ。その跡継ぎとして修行の日々を過ごしているのが、長男の雄司さんである。
鵜飼の漁が行われる際、鵜匠とともに鵜舟に乗るのは「艫乗り(とものり)」「中乗り」という2人の船頭。雄司さんは現在、中鵜使いの位置で舟に乗っており、舟の扱い方を教わりながら哲司さんから仕事を学んでいる。時には哲司さんから手縄を渡され、漁を経験することもあるそうだ。「自分でやってみると難しいですね。手縄が絡まりやすいので必要に応じてさばく必要があります。また、手縄ばかりに集中すると篝火が弱くなってしまうので、適宜松をくべることも必要です。そのタイミングを考え、視野を広く持つことに難しさを感じます」。
雄司さんが鵜舟に乗り始めたのは大学生の時。当初は夏休みの間だけだったが、卒業と同時に本格的な修行生活に入った。その決断は自身の中でごく自然なものだったという。「周囲の人から『継がなきゃいけないんでしょ?』『大変だね』と言われたこともあるのですが、父から鵜匠を継ぎなさいと言われたことは一切ありません。大学時代に舟に乗らせてもらった時は、父が体力的にも大変そうだったので、少しでも負担を減らしたいという気持ちでした。『自分がやっていかないといけないな』という感じですね」と当時を振り返る。
過去の人たちとつながる感覚。
常に自然体で気負いを感じさせない雄司さんだが、自身が伝統の担い手であることを改めて実感した場面があるという。それは「長良川うかいミュージアム」でアルバイトをしていた時。あるお客さんが「鵜舟の数が6隻」「乗員が3人」であることを知って、ふと「18人が歴史をつないでいるんだ」と言った。「その言葉を聞いて、自分も限られた人のうちの一人なんだな、と感動しました」。
雄司さんの家は長良川の河畔にあり、毎日自宅前の船着き場から漁に出る。長良川と金華山を望む場所で育った雄司さんは、「一日中ここに座ってぼーっとしていてもいいくらい」この景色が好きだという。「1300年以上の鵜飼の歴史の中で、信長や家康など歴史上の人物もこの景色を見てきました。そう考えると、昔の人たちと自分がつながれた感じがします」と、過去の時代に思いを馳せる。 着実に経験を積む雄司さんの目の前には、いつも父哲司さんの背中がある。「手縄さばきひとつを取っても落ち着いていて、学ぶことがたくさんあります。父が身につけてきた知識や技術を少しでも吸収することが、今やるべきことです。父と同じような存在になるのは難しいですが、僕は僕らしく、自分を持った鵜匠になりたいと思います」。
インタビューの最後に雄司さんが口にしたのは、「やっぱり楽をさせたいですね」という言葉だった。「鵜匠はシーズン中には休みがなく、父も母もそういう中でずっと働いてきました。僕が頑張って世代交代できればゆっくりさせられるので、『旅行でも行ってこやー』って言ってあげたいですね」。
PROFIELE
山下 雄司さん
大学卒業後、鵜匠になるための修行を開始。現在は船頭の一人として鵜舟に乗りながら、父である山下哲司鵜匠の指導を受け、鵜匠の仕事を学んでいる。2024年に発売された「ぎふ長良川鵜飼カード」の中に雄司さんのカードもあり、「次期鵜匠候補」と紹介されている。
時代を次へつなぐ人
投稿日:2025.01.23 最終更新日:2025.01.23